発達障害"グレーゾーン"を生き抜く

発達障害・ADHDで悩んだ経験と試行錯誤しながらゆるりと生き抜いてきた方法を紹介します。

物忘れとの戦い

こんにちは。ADHDサラリーマンのよっさんです。

ぼくは、特に”注意欠如”の傾向が強い発達障害です。

※注意欠如とは、「忘れ物が多い」「締め切りが守れない」「ミスが多い」などの「不注意」に関する症状のことです。

 

「略歴=物忘れとの戦い」

僕の歴史は物忘れとの戦いといっても過言ではないです。

小さい頃から苦しめられていた(当時はそれが普通と思っていたが、)過去の体験を紹介します。

 

学生時代

昔から物忘れが多く、宿題をし忘れる、したとしても持ってくるのを忘れる。。というのは日常茶飯事でした。

教科書や、体操服もよく忘れていたので、慌てながら、隣のクラスだけでなく、授業があるクラスを縦断して借りに行っていました。

バスの時間に遅れるのも常で、母親に車で送ってもらう事もしばしば、、、

高校時代は、国語などの文系科目は成績が良かったのですが、理系科目は赤点、もしくは赤点間近でした。(病院の先生に聞いたのですが、学力の極端さは発達障害の傾向でもあるそうです。)

就職活動

当時は、リーマンショックが起き、就職が絞られていた状況であり、結構な数の就職試験をこなす必要がありました。

しかしながら、当時の僕には、そのような多くのスケジュール管理ができるはずはなく、ブッキングや遅刻、忘れ物などで何社もの試験を無駄にしました。

履歴書を忘れ、面接官に「何しに来たの?」と言われたことは、今でも覚えています。

 

社会人(前職)

それでもなんとか銀行に就職することができました。

しかし、そこで待っているのは、恐ろしい環境でした。

夜遅くまでのサービス残業と、ノルマ未達者への叱責。見事なブラック環境でした。

また、僕は、融資に関わる事務手続きを行っていましたが、契約書の補記や金額計算など、修正やミスが許されない仕事ばかりで、物忘れによる書類の紛失しかけや、納期忘れ、不注意による誤記入など、僕の適正ではまともにできずミスを連発。

取引先の訂正印が必要な書類なども多くあり、ただでさえ忙しい営業の方の仕事を増やして、たまったもんじゃなかったと思います。

本当に申し訳ありません。

その後、転勤し、僕自身も営業に配属されましたが、スケジュール管理もできず、営業のノルマもこなせない自分は、怒鳴られる毎日に耐えられなく、退職を決意しました。

その後、公務員試験を受けたり、別の民間企業で就職したりしましたが、やはり上手くいきませんでした。

今考えると、退職の理由として一番大きかったことは、自分の中で「自分のミスで相手に迷惑をかけている」との気持ちが大きくなりすぎて、相談ができなかったり、頼み事ができなかったりと、周りの方と距離をとってしまう事で、人間関係がうまくいかなくなっていったことでした。

 

現在

現在の職場は2019年の今年で5年目です。

事務やスケジュール管理、多くの方とのコミュニケーションが必要な仕事ですが、自分でもよく続いていると思います。

また、さまざまな仕事をする中で、自分の「強み」もなんとなくですが気づくことができました。

今まで通りミスは多く、何度も辞めようと思いましたが、妻と子供の生活を守っていかなければならないため、退職はできません。

あらためて、自分がまわりに追いつくために、小さなことから取り組んで、「普通の人」になるべく、障害と向き合い、物忘れへの対策をあれやこれや取り組んでいます。